2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

想像と期待と失望と反省を繰り返す毎日

観測者に因って 事象の結果や解釈は大きく異なる

記憶や経験を 忠実に売り買いする事が出来れば良いのに 然し 其れ等は主観から切り取る事が出来ない 受け取る側に左右されるから 不可能だ 同じ経験を同じ様に感じる事は出来ない

互いに向き合う関係よりも 互いに同じ方向を向く関係の方が 欠点を顕著に露呈させないで済むから 何となく心安い

其の人が口にする言葉よりも 其の人が行動に起こす事象の方が 其の人の本質を現すに相応しい 所詮 言語は後出しの文化だから 本質は常に行動に現れる

屁理屈も理屈は理屈だ 理屈と云うからには 屹度其れは論理的なのだろう

世界が自分に微笑む事等考えも出来ないが 自分の思い描く様になる世界と云うのは 決して世界が自分に微笑んだ訳ではなく 世界が自分に対して今以上の 睨みを利かせている状況だと解釈するのが 自分の人生にとっては妥当な解釈だ

永遠が時間の延長だと思っていたが 抑は 時間と云う概念の欠如なのだと気が付いた

不明と云う恐怖は 精神の落ち着き処を喪う 不安を生み出す

自分に処世術があるとしたら 其れは諦念だろうか 諦める事でしか 自分の生命を繋ぐ事が出来ない 自分の命は既に諦めていると云うのに

想像等していなかった未來は 自分が創造した未來ではないと 誰かに責任転嫁した所でも 其れを受け入れなくてはいけないのは 他でもない自分自身なのだ 其れだから自分の未来を自分の能力で 少し丈でも良いから 創造してみたいと想像する 其うすれば其の現実…

誰かの正しさは 誰かの間違い 誰かの幸福は 誰かの不幸 総てを足して半分こにして 総てを零にして仕舞えば 総てが丸く収まるのに

喪う事を喜ばしいと思わなくてはいけない 喪って仕舞えば 其れ以上に破滅的になる事も 自分の認識を裏切られる事もなくなる 自分の虚妄が想像の中で 総て真実になる事が出来る 自分の持つ正しさで認識を支配する事が出来る 其んな虚しい言い訳を繰り返して …

愛情の最の果ては消滅だと云ったのは 一体 誰だったか 其れ故の融合であると云ったのは 一体 誰だったか

道徳と倫理と論理に拘束する事で 社会と云うのは形態を保とうとしている 感覚や感情と云うのが其れを違反する 時には其れは衝動だったりもする

自分は其処に見積もられる代償を 何一つとして補填と補償を与える能力はない だとするのなら得る可きではない 感情と云うのは其れなのに屡々 論理の理解を超越するのだ

見放さない事 手放さない事 其の負債が不良債権になっても 其れを甘んじて受け入れろと運命は云うのだろうか 其う迄 修正を施さなかった自分が 抑の源因だと運命は云うのだろうか

想像する事でしか世界を理解する事が出来ない 諒解とは想像の産物だから 其の現象の真偽を推し量る術を 凡て想像と云う頼りないものに依存する

総てのものに対して絶対と云うものは存在しない 価値は千差万別 消費者によって決められる 法則は過去によって決められる 膨大に蓄積されたデータと過去と経験は 其の信憑性を増大させる術ではあるけれども 最終的には当人が従うと信じると云う不安定なもの…

質の高いものが良いものとは限らない 大衆が求める良いものは 安価で安易な場合が多い 其れが本質的に良いものとは限らないが 多数的には良いものとされる

保護された上に存在する勘違いの自由程 自由だと勘違い出来るものはないだろう

生産するよりも消費する方が何倍も簡単だから 人間は消費者であろうとする 生産するよりも消費する方が何倍も自由だから 人間は消費者であろうとする

肯定するよりも否定する方が何倍も楽で簡単だ 必要ないものを削ぎ落して行く事は容易い 使える物丈を使うのも容易い 肯定する事は難儀だ 使える様にする事も難儀だ 与えられない物を創出するのも難儀だ

精神的劣化は過去に執着する 決して未来を能動的に受け入れない 変化するものを肯定しない

過去の自分に問いたい お前は彼の時 何を思い付いてメモに走り書きをしたのかと

過去に戻りたいと思う事は多々ある 過去には結果しか存在しないからで 可能性よりも結果に執着した方が安心する

人間が智慧と引き換えに犠牲にしなければ為らなかったのは 世界中の孤独を引き受けると云う事だった

後は喪っていく事しかない 唯 登り坂を下って行く事しか出来ない 其れは頂上に達したから下るのではなく 登る事を断念したから下る丈の事 引き返す事でしかなかった

出来ない事が出来る様になって成長を感じて 出来た事が出来ない様になって年齢を意識する

思考の片隅で思考する事が最近出来なくなって来た 嘗ては其れ程の負担とは思わなかったのに 今では計算が出来なくなる事もある