数学者。

数学者・論理学者として出発し
哲学者としてヘーゲリアンから経験論者に転向
以後その主張はかなりぶれがあったものの
基本的にはモノ的対象を基礎とした現象主義もしくは随伴主義的唯物論をとる
そののち,教育学者・教育者・政治運動家としても活躍する.
その論理学・数学
ラッセルの論理学者としての業績は
ラッセルのパラドックス」の発見と
その解決の取り組みに代表される。
ラッセルのパラドックス」の発見についてを解説するためには
19世紀末から20世紀初頭にかけて
ドイツの哲学者・数学者・論理学者であるフレーゲの研究についてふれざるを得ない。
彼は、数学は論理に帰着しうると考え
その思想を現実化する一歩として
論理上で実際に数学を展開するという野心的な著作
『算術の基本法則 Grundgesetze der Arithmetik』を上梓した。
1901年、ラッセルは、この『算術の基本法則』で示された体系に矛盾があることを発見し
フレーゲにその発見を伝える書簡を送った。
のちに「ラッセルのパラドックス」とよばれる矛盾の発見を知らせた手紙は
フレーゲの悲痛なコメントとともに『算術の基本法則 II Grundgesetze der Arithmetik II』に収録されている。
この時期、ラッセル自身もまた
A.N.ホワイトヘッドとともに論理主義の立場から
論理上で実際に数学を展開するという事業に取り組んでいたが
自身の名が冠せられているこのパラドックスのために
約2年間の停滞を余儀なくされている。
さらに、このパラドックスは、同時期に発見された類似の他のパラドックスと共に
数学の基礎に存在する深刻な問題と受け取られ
いわゆる「数学の危機」の震源となり、その解決をめぐって
ヒルベルトの「形式主義」やブラウワーの「直観主義」の誕生の切っ掛けとなった。
ラッセル自身のパラドクス解決の試みは
1903年、「階型理論 theory of types」の発見により成功をおさめる。
ラッセルは、この成功を礎に、階型理論に基づく高階論理上で
全数学を展開するという一大事業を押し進めた。
その努力は、「数学原理 Principia Mathematica」(1911〜1913年)として結実する。