唯一。

自殺を志した少年少女が仮に居て。
此処に。
ドキュメンタリー番組等では、信仰する対象に。
例えば、夜回り先生や某有名精神科医のお偉いさん。
多分、少年少女は問い質すだろう。
『何故、自分と云う固体は生きているのでしょうか?其の意味とは?』
然し、ドレだけ問い質しても答えは無い。
そして問い質された信仰の対象で或る人は巧く
巧みに其の質問の問題を摩り替え少年少女に答える。
すると、大概の少年少女は其の疑問を忘れた様に安らかになり
自殺願望が死んでしまって行く。
日常的に或る風景だ。
不思議な物だが。
此の少年少女は問題のすり替えにも気付かない馬鹿なのか。
そうかもしれない。
然し、もう一つの可能性が或る。
其れは自ら納得をし。
其の答えがすり替えだ。
そう理解し受け入れても
此れ以上に問い質すよりも先に重要な物を手に入れたと錯覚している場合だ。
人間に於いて生きる意味とは確かに重要だ。
然し、其れよりも遥かに重要な物が存在する。
生きる意味とは詰まり長い時を意識が彷徨って行く中に必要な物で
其れは今!此の時を必要とする物ではない。
今・此の時を必要とするものはそんな事よりも私は(貴方は)確かに
此処に存在をしていると云う第三者からの肯定的承認で或る。