誕生日。

明日で僕が此の世に生まれて21年目に突入するのですが。
全く持って嬉しくなどないです。
去年も同じ様な記事を書きましたが
毎年誕生日になると酷く機嫌が悪くなり
悲しくなります。
自分の意思では決してなく
両親の身勝手なセックスのせいで
こんなにも醜い肉の塊が出来きて
此処で生きる事を毎日病的な迄に憂う
どんなに気晴らしをしても
死と云う絶対的不幸から決して逃れる事等出来はしない
とても酷い事ではないか。
確かに、此の両親がセックスをしなくても
他の男女がセックスをすれば僕と云う意識は
此の世に存在した可能性を否めないが
然し、精神と肉体は別の物だと仮定しても
其処に依存している事実に変わりはないし
此の精神の形成に今迄の環境が大いに加担した事も事実
僕を他の環境で自覚できる事が出来るかも知れないが
僕がこんなにも生に執着し
死を恐怖し
其して死を渇望する毎日ではない日々が
其処に広がっていた可能性は限りなく大きい
全く、とばっちりを受けるのにも程がある
   
人間が子供を持つと言う事は
其処に人間と言う生物に論理的思考力や理性を認める以上
其れを行ってはいけない。
万が一何かの理由で子供を此の世に産み堕とす事が或るとしたら
其れは殺人よりも重い罪で
其の人間は極刑に値する
其の責任は一生かかっても償いきる事など到底不可能である。
僕はそう考えている。
殺人は人間を死へ誘う行為である。
然し、出産は人間を生へと誘惑し其れを騙し
死へ誘う行為である。
こんなにも酷い事等あるか。
芥川龍之介の河童の様に
此の世に存在する前に
自分はそんな死と云う絶対的真理の前に
絶対的不幸の前に自分の命が尽きる迄
只管怯え続けながら生きて行かなくてはならなくても
其れでも生きたいと願う場合のみ生きる資格を与えられるのなら
しょうがない。
其れは全て自己責任であるのだから。
此れは、僕の理念に適っている。
人間は自分で考えて行動し
其の結果生じた責任は全て自己責任である。
と言う、僕の理念に。
然し、現実はそうも行かない。
僕の意思には関係なく生まれさせられ
死と云う絶対的真理に
絶対的不幸に怯えながら
僕は今日も生きる。
誕生日。
何が目出度いのだか。
そうやって
僕の事を祭り上げる
貴方等の方が余程目出度い。