西之園萌。

どうして、人が死ぬと悲しいのだろう?
それは、一体どんな理由なのか・・・・・・。
人間の精神のその不合理なメカニズム。
それは、他の動物にはっきっとないものだ。
何故、地球上で最も進化したせいしんだけが、こんな不合理さを包含しているのだろう。
あるいは、この不合理さのために進化したのか。
それとも、そもそも進化などしていないのか。
もう二度とあうことができないという理由ではない。
そんなことは日常茶飯事である。
死がそんなに特別な状態とも思えない。
誰にでも身近なものではないか。
人が死んだときには泣かなくてはいけない、悲しまなくてはいけない、と教育されているためかもしれない。
おそらく、その割合が半分以上あるのではないだろうか。
では、教育されなければ、人は泣かないものだろうか?
花が枯れても、人は泣かない。
花はまた咲くからか。
いや、人間だってまた生まれる。
失われるのは、躰ではない。
死んだ者の記憶である。
だが、記憶でさえ電子的に保存することができる。
再生できないのは、人間の思考だ。
思考だけが今の技術では再現できない。
しかし、思考が失われるということが、何故悲しいのだろう。