手紙。

東野圭吾原作の「手紙」が此の間テレビで放映されていたのだが
此れを見た人は居るだろうか?
東野圭吾直木賞を受賞する前から好きだったので
結構、色々と読んでいたのですが
映像化した全ての作品について言える事は
致命的なキャスティングミスと脚本家の低脳
ゲームに於いてもガリレオに於いても・・・。
全く持って、キャスティングと脚本が悪いです。
今回は、「手紙」についてですけれど。
まぁ、キャスティングミスな事を言っても仕方がないので
脚本について語りますが。
彼の厚さの小説を数時間枠に収め様として数々の削除を行った事は仕方がない。
其れは、小説を映像化する事に対して
避けられない所でもあります。
然し、一番許せないのは
主人公が付き合っていた彼女アサミと別れる際に
彼女の父親がお金を主人公に渡す場面である。
小説では、此のお金を主人公は貰えないと断るが
映像版ではアッサリと受け取ってしまう。
所謂、手切れ金という奴だ。
何故映像の脚本を書いた人は此れを書いたのか。
僕には理解出来ない。
金を貰うか貰わないか。
其の違いに対して映像量が其処迄変化するとは思えない。
然も、其処で金を受け取らなかったという事は
飽く迄も、別れる事は主人公の意思・決断であり
決して其れを金に買われた訳ではない。
僕は、此の時の金が社会を比喩し
決して主人公の精神を金で買われた訳ではない。
其処に確固とした自分の意思の元
自分で決断した事であるという意地を読んだのですが
其れを、貰って仕舞うのは余りにも残念な結果でした。