無意味。

ならば、僕はこう云う。
確かに、贅沢な悩みであるかもしれない。
衣食住を保障された環境下に於いて
其の様な憂いは生物が生きる上では必要の無い事である。
然し、其れは生物が生きる上であって
人間が生きる上の話ではない。
贅沢な悩み。
贅沢だったら其の様な悩みを持つ事を許されないのだろうか。
どんな存在だったら許される?
衣食住を保障されている者にとって贅沢なのなら
衣食住を保障されていない物にとっては贅沢ではないのか?
だとするならば、其れは生物的に生きる事も困難な物ではないか。
そんな物が此の様な憂いを持てるのだろうか。
持てたとして。
其れを四六時中悩む程の時間を有してはいないだろう?
君は、こんな事をしても。
考えても無意味だというが
此の世に存在する殆どの物は無意味ではないか。
君がそうやって毎日会社に出勤し
時間を差し出す対価として
共通の価値観である金を受け取る。
其して、衣食住を確保し
あわよくば、社会的信用と地位を確保する。
然し、そんな事に一体何の意味を持つ?
そんな抵抗をしても
君が何れ死んで仕舞うであろう事は事実であり
避ける事の出来ない絶対的不幸で或る。
結局、絶対的不幸で或る死を前にして
君の今行っている事は無意味である。
無駄な抵抗なのである。
然し、此処で一つの疑問が或る。
無意味であるのに何故するのか。
抑、人間は何故其処に意味付けをしたがるのだろうか。
という事である。
無意味である事。
其れが何故悪い?
何故、意味を見出さなければ成らない?
意味を見出す事に何の意味がある?
価値を見出す事に何の意味がある?
自分の為に価値を見出す?
そんなのは只の欺瞞だね。
価値等、所詮はマジョリティーによる
安心感を得たいが為の幻想に過ぎない。
そんなものは、何処を探しても存在しない。
普遍的な幸福が此の世に存在しない事と同じ様にだ。