エコエコエコエコのエコ中毒者とエコ強迫観念とエコ依存症。

其れは
生まれるという事実
存在意識と云う事実
自覚するという事実

対する義務で。
矢張り其れは苦痛へとポテンシャルエネルギーの低下で安定する。
其れを当然の様に要求し
自ずから其れを拒否する事に対して
丸で林檎が木から堕ち無い様に驚く
其れは暫定的事実であって
必ずしも真実ではないのに
其の履き違いを起こし
僕はトイレに駆け込む
嘔吐物が丸で身代わりの様に流れ去って逝く。
其れが言い訳と取るなら。
其うであるかも知れないし。
其うじゃ無いかも知れない。
僕には其んな主観的事実は如何でも良い話で
只々望み続ける丈の沙門しい欲望。
燃え尽きる蝋燭の炎が見せる最後の抵抗の様に
其処に希望がなくなっても生を足掻くというのだろうか。
何を以ってして
其れを解決出来るのか。
思い当たる術は何時だって最高の結末を導き
僕は如何する事も出来ない。
石橋を叩いても決して渡らない僕の精神は
其の上で誰かに突き落とされる事を密かに
其して大々的に望み続けるのだ。
カミュは異邦人の中で
「健康な人は誰だって一度は愛する人の死を期待するものだ」
と言っていたが。
僕に言わせるのなら
健康な人は誰だって一度は自分が存在しない事の幸せと云う幻想に浸るものだ。
と思う。
何かが巧く行かないからで
何が巧く行かないのだろう。
歯車が狂った事に気付くのは何時だって修正の利かなくなった最悪の事態を意味している。
念入りな整備作業だって
裏を返せば軌道修正の道筋を作っているだけで。
結局、僕は何が言いたいのかと言われれば。
何が言いたいのだろうか。
言葉に出来る物なんて本当にちっぽけで
考えられる事は本当に沢山で
何かを表現する事なんて
何も伝えられない。
言葉なんて後付はあっても無くても其んなに換わらない。
本当に伝えたい事なんて
結局1つも伝わらないのだから。