バルマーの発見でボーアの突拍子もない考えが生まれたんだな。

其の感情豊かで表情変化に富んだ顔を覗き込んでいると
何故、其んなにも達者に変化が出来るのか
其の所以を知りたくもなる。
が、其れを知った所で
僕の生活習慣に何の変化も及ぼさないだろうと
容易に推測出来るし
其れが僕の生活習慣に変化を及ぼしたら
殊更な迷惑を被る事実も存在する
其れは単なる興味本位で
僕は化学反応の様に置き換えて観察する
触媒作用ではないが
反応物が其処に在れば
忽ち其の感情を剥き出しにし
声帯を震わせなければ満足する事が出来ない
等と云う事実を
僕は今更の様に驚き
疎ましく思い
感心する。
其処に存在するのは独りの人格ではなく
其の細胞と云うカプセルを借り
辛うじて共通の記憶を幾つか有する
有機体の先に複数の電極が差し込まれているのではないか
其れは一括性を辛うじて保ちつつ
実は刻一刻とまったく別の電極子に差し替えられているのではないか
等と飛躍した思考を僕は硝子越しに
フィルターで濾して脳内で空想してみる
僕の思考対象が元の観察対象と照合された時に
其れは既に別の電極子に繋がれ
矢張り過去の記憶を辛うじて繋ぎ止めた儘
全くの別物になった事を見出す事も出来る。
僕は其れを硝子越しに観察する事を
好意の範囲で好むが
其れには触れたくもない。
触れようともしない。
至近距離の間に存在する果てしない遠さの距離
次元すらも超越して
僕は観察者の立場を退かない。