死諾々。

自分が生きていると勘違いする事が非常に奇妙に思える。
其れは僕自身が生きていると云う妄想が事実だからではなく
何故、其の様な勘違いを催すのか。と云う事実に対しての奇妙さだ。
僕は生きると云う事が何故今日も続くのか。
何故、心臓は動き続けるのか。
何故、時間を感じ詰り思考を働かせるのか。
其れが分からない。
其処に意味や価値を持ち込もうとしているのではなく
言葉で表現するのなら極めて曖昧模糊として仕舞う事実で。
何故なのだろうか。
僕は意味や価値が有るから生きているのではなく
唯、其処に存在する丈で
だから、死にたいのだ。
だけれど、其れは先に記した通り意味や価値が存在しないからではない。
僕は自分が生きていると勘違いをして
其の妄想から取り払われたいのだ。
例えば、此の勘違いと妄想が勘違いと妄想ではなく
如何しても逃れる事の出来ない事実だったとしたら
矢張り僕は僕が生きていると云う事実が僕を困らせる。
其れはとっても困る事になるぞ。
僕は死んで仕舞いたいのだ。
何かを感じる事が凄く苦痛なのだ。
とても僕の希望に沿う事があって
其の一瞬を満足に終わらせても
其処に落下した点は何れ染みになってエントロピーの増大にあわせて
どんどんどんどん無秩序になって行って
結局僕は其れを苦痛と感じる。
時を感じる事も
詰り思考を働かせる事も
何かに感動したり
何かに興味を抱いたり
全てが僕の苦痛の対象で
其の事実を唯、地団太を踏んで駄々を捏ねる丈の自分も腹立たしい。
死んで仕舞いたいのだ。
殺されたいのだ。
誰も殺しては呉れないし
誰も僕を愛しては呉れないのだ。
愛だって?
其んな幻想を僕は信じているとでも言うのだろうか。
信じている筈等ないのに。
僕は必要ない存在で。
でも必要でも僕は死を望む。
だから、意味や理由や価値や必要等と云う単語を
此処に持ち込むのは間違っている。
飛行機に液体を持ち込めない様に。
間違いが起きないように。
起きません様に。