考え中。

先日、祖父が他界した。
お正月に会った時は何時もと変わる事の無い
元気さであった。
其の連絡を受けた時に実感は無かった。
実家に帰り、祖父とあった時に
其の思考に触れる事が未来永劫無くなって仕舞ったのだと実感した。
其処で自分の性根が腐っていると実感出来るのは
其んな祖父を拝見した時に羨ましいと思った事。
自分が死んで仕舞って誰かに悲しまれるのは見っとも無いと言う事。
顔がにやけて仕舞った事。
祖父を前にした時に悲しい気持ちになった事は確かだ
だけれども、其れを前にしても
僕には、人が死ぬと言う事が一体どの様な事なのかを理解する事は出来なかった。
自分の心の何処かに湧き出てきた
悲しみと云う感情は一体何に起因しているのだろうか。
自分の名前を呼んで呉れる人が一人いなくなった。
其れが何故悲しいのだろうか。
僕は、自分の親兄弟が死んでしまった時に矢張り悲しむのだろうか。
其れは実際になってみないと解らないが
多分、悲しくは無いのだろう。
自分の存在を認めてくれる人が誰も居なくなった時
僕は悲しいと思うのだろうか。
何かの集団に属す事が出来なくなって
悲しいのだろうか。
孤立する事は確かに悲しいかも知れない。
其れは不安になるからだ。
其れは本能に起因するのかもしれないが
集団の中の一人を失う事がそんなにも悲しい事なのだろうか。
僕は死ぬという事が一体どの様な事なのかを聞いてみたい。
何故、皆は悲しんでいるのかを聞いてみたい。
神妙な席でなければ
涙を流さなかった人たちに聞いてみたい。
貴方は本当に悲しいと思っているのか。
僕が悲しめなかったというのは
多分、酷いなのかもしれないが
神妙な席だけで悲しみ
其の外は哂っている(振りかもしれない)人達の
二面性は、酷くないのだろうか。