頭痛の種は自分が今日も生きていると云う事に限る。

合従連衡に明け暮れる世界観では
余りにも退屈なのだろう
其う遣って人は出会って
其う遣って人は別れていく
其の過程を生きると表現して見る
決して遺伝子の伝達丈を目的としていない
其れが煩わしいし
其れを行う気も無いのに
其れでも自分自身が
自分の世界観を持ち続ける事に
必要性はあるのだろうか
代替の可能な能力と時間を提供して
合従連衡を繰り返して
意味が解らない