何でも無い日々を記念日にして見るなんて馬鹿みたい。

認識の欠如によって
人は今日も存在しているのだと認識すると云うのは
何とも面白い話だ
足りない物を探している事が生きていると云うのなら
其れは自分が存在すると云う認識と
自分が存在しないと云う認識の
双方の欠如が齎す奇跡としか云い様が無いのだろう