大事なものばかりを忘れて仕舞っている如何でも良い。

世界は自分なんか全く関係ない所で廻っている
世の中は自分の存在なんか全く関係ない所で機能している
其れを表記して仕舞うと
自分に関係すれば良好なのかと勘違いされそう
でも其れは違うんだよ
自分に関係が有っても
自分に関係が無くても
其う云う判断をする事自体が厭で仕方が無いのだ
何かを認識したり
何かを判断したり
其の全てが厭なのだ
何か特別な関係性からの逃避であるのならば
其れは不純な死で有って
純粋に生きる事からの逃避ならば
其れは純粋
然しながら生きる事を定義出来なければ
其れは何かしらの逃避を孕んでいる行為なのだから
如何にか其れを回避する事も可能なのだろう