何処かに余所余所しさや迫害感を抱く様になったのは
自分の認識と相手の存在に乖離が生じて来た証拠で
其れは自分が勝手に抱いている相手への像や
自分が相手に如何の様に認識されているかと云う
自己認識への乖離であって
責める可きは相手ではなく
自分の認識力の方なのである