2018-07-04 ■ 理解と云う幻想は飽く迄も想像の域を超える事はない だから失望と云うものが生成される 精錬された失望は嫌悪へと変換され迫害の要因に為り得る 想像と云う幻想を伴わない理解は期待する事が出来ない 自分自身の事にすら自分は自分で自分自身に自分勝手に期待し 幻想を抱き続けているのだから 幻想と幻想のぶつかり合いが蜃気楼を巡って争いを繰り返す事も 暫し見受ける事の出来る虚しさである