理解と云う幻想は飽く迄も想像の域を超える事はない
だから失望と云うものが生成される
精錬された失望は嫌悪へと変換され迫害の要因に為り得る
想像と云う幻想を伴わない理解は期待する事が出来ない
自分自身の事にすら自分は自分で自分自身に自分勝手に期待し
幻想を抱き続けているのだから
幻想と幻想のぶつかり合いが蜃気楼を巡って争いを繰り返す事も
暫し見受ける事の出来る虚しさである