悲嘆の中にも様々な種類の偽善が潜んでいる
喩えば親しかった人の死を慎んで涙を流すと云う場合
実は我々自身の事を嘆いているに過ぎない事が多い
詰まり個人が我々に対して抱いていた好意を喪った事を
惜しんでいるのだ
其れは我々自身の財産
我々自身の喜び
我々自身の社会的評価が喪われた事を嘆いているに等しい
此んな風に死者に奉げられる涙が
実は正者の為に流されているのだ
此れが一種の偽善だと云うのも
此うした類の悲嘆に於いて
我々は自分自身を欺いているからである
もう一つ別の種類の偽善があるが
此方も可成り悪質で
誰もが其れに騙される
其れは自分の抱いている悲嘆を
美しい不滅の苦悩に迄高めようとする場合である
総てを消し去って仕舞う<時>が
嘗て実際に抱いていた悲嘆を
全く感じなくさせて仕舞ってからも
其の人達は頑固に涙を流し続け
嘆き続け
溜息を吐き続ける
彼等は悲嘆に暮れた人物を演じ続け
有ら得る振舞いを通じて
自分の哀しみは終生変わらないのだと云う振りをする
此うした陰気で
然も骨の折れる虚栄は
大抵野心家の女性の間に見られる
女性は栄光に至る有ら得る道が閉ざされているから
此うした永遠に慰められない苦悩を誇示する事で
有名になろうとするのだ
更にもう一種類の涙がある
但し其の泉は小さく
直ぐに流れるが
直ぐに枯れて仕舞う
詰まり優しと思われたいから
或いは同情されたい
自分の事を悲しんで欲しいと思うから
更には涙のない人間だと思われたくないから
泣くと云う場合である