観察された結果から原因を導く場合の理論と云うのは
大抵の場合後付けだ
自分や他人を納得させる為に後から補強された理論だ。
然し思考や発想の道筋は其れ以前に既に存在している。
理論なんて云うのは詰りは唯のコンクリート舗装か
ガードレールみたいなモノに過ぎない。
後から来る人の為に走り易くするという役目をしている丈だ。
抑、其の理論を構築した本人自身だって先に其の路を一度通っている。
舗装もガードレールもない所を最初に通っている。
其の最初の思考過程には言語によって明確に限定されたもの
詰り、理論と呼べるものの実態は未だ存在していない。
否。
存在する、と錯覚している人も居る様だが
其の場合は個人の頭脳の中に存在する別の傍観者が表層に現れて居るに過ぎない。
其れは最初の発想を持った中心人格とは明らかに別の人格だ。
但し、中心人格が傍観者的人格を納得させる為に理論的筋道を作ってやっている場合もある。