精神及び肉体に関する死後理論。⑤

一つは僕の意識が行っているあの世界での生活が其の儘続く事。
この世界で肉体が朽ち果てても僕はあの世界で意識が生きている。
だとするなら僕はあの世界がこの世界でない事に気づいていないのだから
あの世界は其の儘この世界へとなる。
此れが俗に言う生まれ変わりって云うヤツなのではないか?
この世界で肉体が朽ち果てれば
僕の意識が返るべき世界はなくなってしまったのだから。
僕はあの世界をこの世界だと何の根拠も無く信じている。
よく小さい頃の記憶がない。
そんな事は稀な事ではない。
気付いたらこの体に僕という意識が宿っていた。
だけれど周りの人間は僕が生まれたときの事を
確りと覚えている人もいる。
其れは僕があの世界に来てそしてあの世界がこの世界へとなった後に
作られた偽者の情報に過ぎないのだ。
きっと新しく生まれた生命というのは
あの世界がこの世界になる為に作られた
意識の入れ物に過ぎない。
只、其の意識は宿った肉体が朽ち果てるまでは
自分の意思では決して出る事の出来ない
在る意味で脱出不可能の入れ物。
そして、その入れ物はランダムに選ばれる。
自分でどの肉体に意識を宿したいなどは選ぶ事が出来ない。
その後、其れをある人は不幸だと呪い。
またある人は幸せだと思う。
僕はこの場合教師という職業についている。
この世界で僕の肉体が腐敗への道を歩みだした瞬間
あの世界の僕の意識の中に65年分の記憶らしいデータが
急に書き出されていく。
そして、僕は退職し余生を偽のデータと共に歩んでいかなくてはならない。
勿論、データを全て取り込んだ暁には名前も与えられる。
今、こうやって書き物をしている僕も誰かの生まれ変わりで
本当は幼稚園や小学校に行っていないかもしれないし
もう会う事のないカレやカノジョに出会ってもいないかもしれない。
そして、ちょうど今さっきまであの世界だったこの世界が
本物のこの世界へとなった。
そして、僕は幼稚園の記憶や小学校の記憶。
これらの偽のデータと共に今こうやって思い出している。
だけれど肝心なのは此れが偽のデータだとしても
僕はこのデータが本当にあったことだと信じて疑わないのだ。
何だか面白くなってきたな。
でも、大分話が脱線してしまっているね。