物質の所有権と其れに関する意識。

知ってた?
僕の物って何一つないんだ。
この、鬱陶しい位に鳴り続ける心臓の鼓動も。
悲し過ぎる位に丈夫な僕の臓器も。
何一つ僕のものではない。
強いて言うならば僕の脳は
唯一僕のものかもしれないね。
脳を移植するなんていう手術は
未だ成功したという話は耳にしない。
しかし、現代医学において脳を
ソックリ其の儘移植した場合その人の人格
及び知識・記憶に至るまで全て変化を見せるだろうと考えられている。
だったとしたら、脳は僕のものなのかなぁ?
だけれども、他の臓器を移植した場合でも
この様な記憶の移動という奇妙な現象を確認する事は稀ではない。
結局、僕の脳も僕の意識が集中している器官であって
僕のものではないんだね。
僕の臓器を移植したら僕の意識は如何なるのだろう?
僕は色々な事をいっぺんに考えられるのかな?
この、こうやって考えている僕の意識は
如何なるのだろう?
記憶の一片が移動したとしたら僕の記憶は何処へ。
記憶か。
そう言えば僕の記憶だけは僕のものかな?
だけれど、其の記憶すら全て捏造のものかもしれない。
ほら、前に話したやつ。
精神及び肉体に関する死後理論。に出てくる。
ラッセルの理論である五分前世界創造仮定を思い出して欲しいな。
僕は思いのほかこの理論が本当であるような気がしてならない。
だって、イクラ昔を振り返っても
其れが在ったって云う証拠は何処にも存在しない。
其れが物質として
例えば写真であるとかビデオであるとかで存在したとしても
其れは昔撮ったものだとしても
其れを昔撮ったと立証できない。
少なくとも今の技術では決して不可能である。
そう考えると5分前世界創造仮定というラッセルの理論は
僕の心を捉えて話そうとはしない。
そして、僕は当然の如く其の世界に浸り
抜け出す事を何度も試みるけれども
其の世界を抜け出す事が出来ない。
まるで、人間の思考回路と同じように。
きっと僕のものはどんなものかは知っている。
だけれど、其れが何なのかは知らないんだ。
所詮、金や土地といった具象的物なんて僕のものではない。
そう、僕のものは抽象的なもの。
だけれど、僕は其れを何一つもっては居ないんだ。
だから、この体も僕のものではない
僕の意識が君に移り変わったら
このパソコンもこの部屋も僕のものではない
赤の他人の。
そうだね浅羽 祐介。の物であるわけだ。
かといって、君が持っている携帯電話や本やCDは僕のものではない。
結局、僕の物なんて何一つ此の世には存在しないんだね。