意識。

僕の意識、行動其の他全てにおいて
もし此れが決まりきった事だとしたら。
人は其れを定めと言う。
こうやって僕がキーボードで
ろくでも無い考えを公開する事も
僕が合法的な薬で自分の意識を紛らわす事も
全部決まりきった事。
僕は其の上をただ歩いている。
曲がり角を右に曲がる事自体
僕が自分の意思で決断したように錯覚しても
実は其れは決まりきった事
始めから右に曲がるしかなかった。
左を曲がった先に広がっている世界は
元から存在しなかった。
全ての行動は既に定めとして
決まっていたとしたら如何だろう?
そう考えると面白いな。
僕の意識なんて所詮存在する理由に値しないのだから。
だってそうでしょう?
この意識も決断も全て結局は操られているものなんだよ?
そう考えれば意識すら僕の物ではなくなってしまう。
じゃぁ、僕の意識は誰のもの?
そう考えると僕はこういう結論に達する事になっている。
笑わないでね?
其れは、きっと神の仕業なのかもしれない。
僕は神に所有される身であって
僕自身決断し行動する価値には値しない存在なのだ。
そりゃそうだ。
仕える身でありながらだとすれば
自分の意見なんて無力だ。
だけれど、僕は今まで神と云う存在を認めては来たが
其の存在は崇めるほどの存在では無いと思う。
神は確かにこの僕達である人間を作り
自然を作り生き物を作った。
人間は神が生き物・自然での余り物で創った在り合わせの存在で
其れ故に人間は自然の摂理に反し
特別な生き物であると驕り昂る。
人間は此の世の塵でしかないのだ。
だから、人間は神を作り出した。
しかし、神と云う存在は絶対的では在るが
別に特別に崇める必要も無い
人間の精神の拠り所であるだけであるだけである。
だけれど。
だからこそ、運命と云う鍵を握っているのも
また、神と云う存在なのかもしれない。
そう考える。