快感原則の彼岸。

さて、フロイトの著作集と云うのが僕の通う大学には蔵書されている。
其の中の一つに快感原則の彼岸と云う論文が在る。
フロイトの理論はこの論文を軸にし其処から一気に理論が深まる。
と、僕は感じた。
さて、この快感原則の彼岸だけれども
チョット話をすると。
先ずフロイトは人間は悪夢を見ることがある。
其れは其の人によって見られているのだけれども
しかしながら其の夢を進んでみようとするもう一つの自分
つまり他者が其処には存在する。
そして其の他者は其の夢を快楽とする。
ならば先ずは極初期的な状態において
快楽つまり子供によれば
初めての遊びらしい遊びを研究しようとした。
其れ故にフロイトはある恵まれた機会を存分に利用して
この研究を行った。
     
被験者は知識の面では決して早熟ではなかった。
生後一歳半でようやく極僅かな明快な言葉を発し
其の他は身近な者にだけ解かるいくつかの意味在る音声を操っていた。
だけれども其の子は両親と一人っきりの女中に馴染んでいたし
「お行儀の良い」性質の所為で褒められていた。
夜間、両親を困らせもせず
言い付けを良く守り色々な道具を弄ったりしないし
禁じられた部屋へ行ったりもしなかった。
取り分け母親が何時間も傍に居ない事があっても決して泣いたりはしなかった。
しかし、子供は心から母親に懐いていた。
   
この文はフロイトの快感原則の彼岸より引用した。