今の時代を神々の沈黙だというものがいますが。
そもそも。
神等と云う抽象的な『モノ』が存在するのだろうか?
例えば其れをもっと身近な錯覚で例えてみる事も可能だ。
そうだな。
友情・親友・絆・愛情・友達
こんな世にも美しいとマジョリティーが思っている言葉。
其れ等を大切にしようと。
マジョリティーは必死に僕達の心を操作する。
でも、僕はそんなもモノ認める気は更々ないね。
言葉が或るから人間は其れ等が実際に存在すると云う錯覚に陥る。
そして其れ等を武器に愛国心だの人権だのがんばってみる。
甚だ鬱陶しい。
マジョリティーの其の残酷で美しい『みんな一緒教』・『やさしさ教』を布教する。
だけれど彼等の誰一人として其れを正しいと信じて疑う者は居ない。
そして、僕の様なマイノリティーの人間を発見するや否や
『其れは間違っている!』と必死に自分の正しさを押し付ける。
そもそも「『常識』と言う言葉は18歳迄に詰め込まれた偏見の宝箱である。」
そう呟いた人間が居たっけな。