報道。

最近、何処かの県の中学生だかが自殺した。
担任の教師も共に其の中学生を苛めていたらしい。
其の報道をよく聞く。
死んだ中学生の親が大分怒っているみたいだ。
でも、其れは只の当て付けでしかない。
其の両親は、被害者と言う特権の元で
死んだ中学生の担任と同じ事をしているのだ。
其れに気付かないのかな?
其れを面白がり取り上げるメディア
両親はそんなメディアを私達の味方と勘違いをしている節が或る。
自分たちが只、数字取りに利用されていると言うことにも気づかない。
ルサンチマンを気取り。
只、怒鳴りつける。
死んだ我が子を少しでも救おうとして。
何て云う下らない自己満足の為に。
そんな事をした事で何の解決になる?
何がしたいんだ?
結局、其の両親は担任教師と何だ変りの無い
同じ種類の人間なんだよ。
確かに、仮に自分の子供を其の両親が愛していたと言う仮定の下でも。
其れを失った事は大きな喪失。
其の一つの事実に於いて相手を責める事は簡単かもしれないが
其の相手を許すと言うことは
其の愛していたかもしれない我が子の死を冷静に見つめ
理解し、受け入れると言う一つの事実になるんじゃないのだろうか?