歯車。

さて、久し振りに真面目な哲学的な事を書いて見ようかと思う。
昔、少しだけ書いた内容なのだが。
確か、初めて大ちゃんがコメントをくれた記事だったな。
   
社会。。。
今の世の中を形成している
ひとつの共同体である。
だが、其の社会と云う組織に組み込まれるかは
其れはまったく持って個人の自由である。
例えるのなら、社会は大きな歯車式機械の様な物。
そして、個人は其の社会を動かす歯車。
個人に於いて其の歯車を活用するかどうかは自分で決める。
この、社会を沿革に薦める手段として
常識・規則・マナー・コモンセンスなどが存在する。
其れは云わば個人の歯車をスムーズに回し
他の歯車との接触も助ける。
其れが常識だ。
そして、歯車には一つ一つの世界がある。
そう、我々主観的立場での世界である。
其の世界では誰もが、世界の中心である。
自分が世界の中心で
何をやっても良い。
常に自分が主人公で
此処に存在する時も
太陽も
空気も
食物も全て自分の為だけに存在する。
極論、此処に存在する他人
例えば、私や親兄弟、恋人迄もが貴方の為に存在する。
詰まり、貴方という一人の人間が
生きていく中で出会うことのない
数億・数十億の人間は、元からこの世に等存在していなかったのだ。
しかし、幾ら貴方が世界の中心であったとしても
貴方の思い通りに人生は進まない。
其れは、人生という物が社会と云う歯車の中で
構成されている一つの物語に過ぎないのであるからだ。
世界で、貴方が主役のときもあれば脇役。
正義であれば悪党。
高貴な役であれば汚れ役だって巡って来る可能性は十二分に有り得る。
ただ、其れは貴方という歯車が何処に配置されていて
何処でどの位の力でどうやって回っているのかは残念ながら
僕にはわからない。
しかし、実際に何処かの偉い学者が数種類の質問を貴方に問い
其の結果から導き出される統計学的な予測はあるが
そんな物今まで存在し得なかった他者の物だ。
到底頼りりになる物ではないと私は思うのだが。
貴方は如何だろうか。
   

この社会と云う歯車式機械は奇妙なもので
其の流れに逆らい動きを拒否したり
逆そうしたりすることも可能だ。
其れでも、社会と云うものは動き続ける。
でも、案の定其の流れに逆らう事は
膨大な損害を生むことだと僕は考える。
社会・統計学的社会存在人数だけの歯車の力が
貴方、一人の為にかかるのだから
其れは物理学的に計算しても
天文学的な数字となるだろう。
しかし、貴方の歯車は頑丈な物で
少しばかりの反抗ならば直ぐに今まで通りに
一見何の変化もないように見える。
只、少々良々目を凝らして御覧頂きたい。
今まで真芯を捕らえていたはずの貴方の歯車軸が
偏りだしているという事実に貴方は気づくでしょう。
しかし、今は未だ少々なので社会と云う歯車式機械を動かすのに
大した損害を与えはしない。
只、其れが度を重ねる
又は、度が過ぎると
貴方は社会の歯車として役に立たない
只の廃になってしまう。
そうすると、貴方は社会と云う組織から
排除されることになるでしょう。
詰まり、大罪を犯した人間や人間としての存在を拒否した
人たちと同じ仕打ちを受ける。

そう。
私のようにね。