理由。

さて、此処で昨夜の話を気に掛けて
今宵も我が家の扉を叩いた者が居るだろう。
態々遠い所から足を運んで頂き真に感謝さ。
厭、此の歳になると夜が長くなってね。
はぁ、そんな事は聞いていない・・。
解りました。
では、今宵。
何故、僕が是程迄長い間
自傷基自慰日記を続けているかについて
御話し致そう。
そもそも、僕が此の日記を書き始めた理由だが
其れは自慰の様な物だ。
若気の到りとでも言い換えようか。
僕は、17歳の時だったかな。
当時、交際していた女の子と別々の道を歩むべく決断を下し
其れを伝えた。
是が確か1月6日だった。
日曜日で、何処かの民報がオーシャンズ11を放映していた日だったかな。
そう、其れは日曜洋画劇場と言うプログラム企画だったよ。
僕は愛等知らないくせに
無条件に彼女への想いを愛だと決め付けていた。
そして、其れが叶わないと知った時。
僕は、初めから向き合って等居なかったくせに
今更向き合うこともせずに
其の行為一帯を拒絶し逃げ出してしまったのだ。
そして、其の辛さを紛らわす為に
此の自称基自慰日記を書き始めた。
確か、初めの記事は蹴玉世界選手権の日本対北朝鮮戦の
翌日だったか。
ハッキリと覚えている。
今迄、と言っても1年余だが
僕が始めて生きる理由を決め付け
僕の脳髄が長年欲して止まなかった
意義を見つけ其の支えに成っていた物を
たった1夜で、1通の電子手紙で脆くも砕け散った後だったのだ。
藁をも縋る思いだったよ。
僕の各個たる細胞から溢れ出た
ストライキ・デモが行き場を失い
脳髄に占拠していたのだから。
其の頃の僕は食べる事は勿論の事
寝る事も呼吸をすることも全て制限されていた。
数秒、全身の各個たる細胞のストライキを押し留めるので精一杯で
化学物質の援助すらも何の意味も持たなかった。
只、無秩序に変わった僕の脳髄が
只々「死」と云う休暇を求め僕を連日の様に攻め立てた。
そんな、ストライキの行き先が此の部屋さ。
如何だい?
悪くないだろ?
此の部屋は。
僕の欲望と哲学で埋め尽くされている。
何の意味も無い部屋だ。
僕の各個たる細胞の不平不満を此の部屋に誘導させる為に
僕は、中島大先生や野矢教授の手助けを要した。
そう、初めて僕が哲学的書物に触れた瞬間さ。
そうやって。
僕は、今でも只死にたいといい
此の部屋に引き篭もる。
どんなに良い事があっても
友人が仮に出来たとしても
僕の心は此の部屋から出ようとはしない。
でも、そんな自傷基自慰日記は或る一つの
大きな目的を要している。
さて、今晩はもう遅い。
君には僕と違って輝かしい明日が或るのだから。
今日はもう寝なさい。
何?
終電を逃してしまっただって?
仕方が無い、此の部屋の2階が開いているから
今日は其処を使ってくれ給え。
続きは、明日するとしよう。