提供。

僕は、他人に自分の時間を提供する事が嫌いだ。
組織に拠って時間を拘束される事は
止むを得ない事だと踏ん切りを付けてはいるのだが
自分に対して、其の時間を自分の利用したいように出来る時に
僕の時間を他人に提供する事が大の苦手である。
所謂、友達ゴッコが嫌いなのである。
虫唾が走り、気分を害する。
そんな事をするのに一体何の意味があるのか。
そんな事拠り、僕は本でも読みながら
語彙力を深めたり
自分が此の世に生まれた事の無意味さを嘆き
其の理論武装を頑丈にする事に精を出したいのだ。
僕にとっては全てが無意味だが
無意味為りに意味を付けるとして
其れは、僕の独断と偏見に於いて付ける
極めて身勝手な準位だが。
独りで思索に耽る方が何倍も意味を持っているのだ。
自覚した気晴らしをする事に
僕は何拠りも意味を感じ得る。
だから、組織以外に自分の時間を拘束されることは嫌いなのだ。
其れが例え、世間的に言う恋人という者が其の対象でも
何等換わりは持たない。