無価値。

後、3ヶ月と少しで僕は20歳になります。
此の世に生を享けて21年目に入る訳ですね。
10代最後の年に
僕は何か遣り残したのではないか。
そう疑問に思っても今更
如何にも出来はしないだろうという事は事実明白
毎日を全力で生きた訳でもない。
只、死を求め続けて20年彷徨った丈だ。
此の間死ねるであろう可能性を秘めた状況に立たされたのに
僕の意識は滅亡する事は無かった。
仕方の無い事だ。
滅亡しなかった物はしなかったのであって
今更如何のこうの言った所で何の解決にもならない。
過去に縋っても何にもならない・・・。
解かっているじゃないか。
如何にもならない事だなんて。
でも、彼の一点の事実に於いて
僕は何故こんなにも縋るのか。
僕は、人に愛される価値の有しない人間であることを知っている。
だけれども、君は気晴らしに僕を愛するような素振りを見せて呉れた。
今風に換言するなら若気の至りだろうか。
其れでも良い。
其れでも君は僕の存在を肯定的に認めてくれたのだ。
其の事実に対して僕は自分の人生で唯一誇るべき事なのだ。
僕は、空気は読めないし
面白い話も出来ない
役にも立たないし
背だって小さいし
頭だって悪いし
益せてるし
意味不明な行動も取るし
屁理屈ばかり言うし
センスもないし
馬鹿だし
だから、人に馬鹿にされて
厭われて
嗤われて当然の生き物だから。
だけれど、君は僕に微笑んでくれたから
だから、何時迄も僕は君の存在に執着するのだろう。
君以外に誰も僕を愛する素振りすら見せては呉れない事を知っているから。
だから、僕は誰かに構って欲しくて
誰かに認めて欲しくて
其の近道が君の存在だと信じて疑わないから
何処迄も君に執着するんだろう。
君にとって僕の此の思想行動存在は何等役には立たなくて
只、邪魔で否定すべき価値しか存在しないのだろうね。
其れも知っている。
だけれども、気づかない振りをしているんだよ。
それだけなんだよ。