人格形成に於ける過去の必要性。

さて。
此処で改めて問うが
人格形成に過去は必要かどうか。
過去という物は存在し得ない事も騙った
然し、其れでも人格形成に於ける過去の存在は大きい
僕が此処で過去と表現するのは
時間的過去の事を言っているのではなく
今。
脳内に刻まれている
時間軸的に過去に当たる記憶の事である。
例えば。
トラウマというのがそうである。
今。
犬を前にして過去に自分が犬に噛まれて怖かったという記憶が
今。
呼び覚まされるのであるから
犬を見た時に拒絶反応を示す
過去に犬に噛まれた事を如何証明するのか?
証明など出来ない
然し、人間の脳内に確かに刻まれている
其の犬に噛まれて酷く恐ろしく感じた・・・という記憶が
其の記憶に拠って犬を見て拒絶反応を示す
其処に過去が存在したか如何か等問題ではない。
其処に犬に対する恐怖心が備わっているか如何かが問題なのだ。
犬に噛まれた疵があるから?
疵が今あるのであって
過去に疵があった何て如何やって証明する?
写真にでも撮って証明する?
そんな事は無意味だ。
第一に科学何て只の辻褄合わせに過ぎないという事。
全ては論理的構築をし論理の上でしか正しさを証明し得ないという事。
そんな時、正しさを知らないと言いたいだろう。
然し、正しさすら理性に則るもの即ち論理的構築の上に存在する
観念でしかない以上
其の事全てに対しては絶対的且論理的構築が支配する。
第二に先から言っている様に其の写真を過去に撮った物である事を証明出来ないからである
今!
此処に其の写真がある事を認める事は出来るが
だからと言って過去に写真が存在した事を証明する事は出来ない。
如何したって過去を証明する事は出来ない。
まぁ、今の時点では其れが事実。
然し、思考上に於ける過去が今に影響しているのは
トラウマやPTSDを見てもらえば容易に理解してもらえる事と思う