時間の有効性。

時間と云う財産を僕は今迄どの様に消費して来たのだろうか。
果たして有効な利用をしたのだろうか。
となると、有効とはどの様な事を言うのだろうか。
自分と言う人格が形成される迄に消費した時間・・・。
其れを人間的に理想とする常識と道徳をどれ程身に付ける事が出来たか
と。言う事なのだろうか。
先に断って置くが人間には過去も未来も存在し得ない。
然し、此処で言う時間と云うのは脳内に刻まれている
感覚的な過去の存在である。
其して亦、未来の存在でも有る。
常識。
道徳。
だとするのならどれ丈人間が人間として人間らしく生きるに値する人間として
成長する事が出来たのだろうかと言う事だろうか。
生憎、其処に期待を置くのであれば悉く無駄に時間を消費されてしまった。
僕には其れ以前に先の様に常識とは?道徳とは?と云う問に
日夜悩まされ其の理論的構築と納得に時間を費やして仕舞っている。
道徳。
常識。
其れ等は飽く迄も観念的なもので正しさが存在しない。
だとするのなら有効に使うなんて出来るものでもないだろう。
だけれど主観的に生きる宿命を背負わされた以上
自分が納得する財産の使い方をしていたのであれば
其れは有効な消費と称する事も出来る。
自分が納得。。。
此処で時間と云う財産を有効に利用しているのか疑問に問う時点で
其の問の明瞭な回答は得られたも同然の事である。
有効に利用する事等僕には到底不可能な事だと結論付けるより他に仕方がない事だ。
有効性を問わない事こそ有効に時間を消費する可能性を帯びる事になるのだろう。