過去。

此の状況が何れ過去に成って仕舞うものだとするのならばだ。
斯うしている事は既に決められて仕舞った事なのだろうか。
だとするのなら、僕らがどんなに頑張っても
其れは既に決まって仕舞っている事で
何だか虚しい。
人生に於いて生きる事は何だかギャンブルに似ている。
何が起こるか理解出来ない。
僕は別に其れを楽しいだなんて思わないけれども。
然し、此の状況が過去になるのなら
其処に議論の余地と虚無と必然性が佩びて来る。
如何やっても其の必然性を脱する事が出来ないのか。
例えば過去に何かしょうもない事をした人間が居て
其れは直接教科書に掲載されるような事。
俗に言う歴史に名を残す事等しなくても
其の小さな不具合が連鎖を生み
矢がては巨大な連鎖となり今の僕が存在すると言う事実に対して
多大な影響を孕んだとしよう。
そうしたら、僕が此処に存在し
此処でノート型パソコンでインターネットに接続し
はてなダイアリーを開き日記を書いている状況すら存在しなかったかも知れない。
だとするのなら、此れは非常に低い確率の内に存在する奇跡なのだろう。
だとするのなら過去の事は必然だと考えるのが妥当な意見と言うもの。
然し、現在に僕が居る此の状況に対して
殆どの人間が其処に必然性を認めない。
自分の意思で何とかなるものだと疑わない。
然し、自由意志が其処に存在することを証明する事は不可能である。
如何やっても其処に必然性が生まれる可能性を否定できない。
事実如何しても自由を証明する事は不可能なのである。