可能性。

我々はあらゆる可能性の中に生きている。
と、言ったのはキルケゴールですが
確かに、其の通りかも知れません
或る物事に対して
AとBという異なる選択肢が目の前にあったとしましょう。
Aを選ぶ事もBを選ぶ事も出来ます。
解かり易い様に日常の事に置き換えますと
お昼の定食に鯖の味噌煮定食を選ぶ事と
生姜焼き定食を選ぶ事が出来ます。
其して、貴方は後者を選んだとしましょう。
何故、貴方は前者を選ばなかったのか?
其処には存在しない自由意志が或るのですが
其れに搗いては、後日書き出すとして。
貴方は、前者を選ぶ事も出来た。
然し、現実に貴方は後者の生姜焼き定食を選んだ。
此の時、貴方は前者の鯖の味噌煮定食も選んでいるのです。
然し、貴方の意識は後者を選ぶ方に現実今存在している。
此処に鯖の味噌煮定食と生姜焼き定食を選んだ
其々の貴方が存在し
貴方が意識する意識は後者の方へ流れたのです。
  
詰まり、選択肢にぶつかる度に
其れを選択した貴方と其れを選択しなかった貴方が居て
其のどちらも存在する。
然し、現実世界に於いて
其処に確かに存在するのは
どちらかを選んだ貴方なのです。
そんなアヤフヤな橋を
恰も綱渡りでもしているかの様に渡り
貴方はあらゆる選択肢・可能性の中に生きているのです。