河童。

芥川龍之介の有名な小説河童には以下の様な記述がある。
妊娠した女の人のお腹に手を当てて
「お前は生まれて来たいか?」と、問い質す
其して、胎児が生まれてきたくないと言えば
変な液を注入しお腹は凹み
胎児は居なくなるというもの。
亦、某書(余り広めたくないので本の名前は控えます)によると
人間は生まれた時に先ず
何故無くのだろうか?
其れは、生まれ生きる事への抗議なのであると。
  
ブッタは生まれて来る時には泣かなかったのだとか。
人間は若くして死んだ人間に対し
人生此れからマダマダ楽しい事があったのにとか
此れからと言う時に・・・・とか
此れから輝かしい未来が待っていたのに。。。
と言う様な意味を含む言葉を残し
泪に暮れる。
然し、僕に言わせれば其れは生きている物の只のエゴに過ぎない。
確かに、此れから先楽しい事も面白い事も幸せな事も
其れはもう、沢山あっただろう。
然し、其れ以上に
悲しい事辛い事苦しい事はある筈だ。
若し、其れ等の抽象的な物事の量を図る事が出来たとして
仮に、辛い事等の−の意味合いを持つ物と
楽しい事等のプラスの意味合いを持つ物の量が同等であったとしても
+の事は坂を下り
−の事は坂を上るように
体感的には断然辛い事の方が多いのである。
少なくとも
此の世に存在する楽しい事面白い事を体験し目にしても
其の先に或る
死と云う絶対的不幸に関して
誰も逃れる事が出来ない事は事実である。
其の絶対的不幸の中に
幾等幸福が存在しようとも
其れは只の魔明かしで
欺瞞的に成っているに過ぎないのである。
更に言うなれば、葬式等
生き残った物のエゴでしかない。