シュレーリン現象で洋杯の中の麦茶もドヨドヨに屈折率を示す。

人は悲劇の苦しみの中で成長し
幸福という怠惰の中で堕落する。
厳密に言うならば幸福というよりも
快楽の中なのかも知れない。
幸福は思考を停止させる
其れは恰好の気晴らしであるからなのだろうか。
何故、幸福と言うのは
此んなにも
不快で
退屈で
窮屈で
恐ろしいものなのだろうか。
其れはスタンダールの言う
  
素晴らしい恋は常に其れを喪うかも知れない
と、いう危機感が存在する。
  
と云う事に等しいのかも知れない。
其の思考力が働かないと云う事に起因して
僕は幸福が嫌いだし
其の喪うかも知れないと言う危機に起因して
僕は幸福が嫌いだと宣言する。
然し、其の自覚した幸福ですら
現在存在するものは
全て2次元的展開しか存在しないのだろう。
3次元展開は僕を幸福へ渇望させるだろうし
固持すらする。
僕の現状は
僕の欲望は
僕の葛藤は
何かしらの3次元展開を望んでいるのだろうか。