アガロースゲルで電気泳動を行えばシーケンサーでDNA垂れ流し。

阿弥陀籤の様な人生
其の決断や行動で無数に別れる。
屹度、今此処に何かを失った自分が居て
別の次元の何処かに何かを失わなかった自分が居るだろうし
何かを得た自分も居るのかも知れないが。
其れを自分だと認める事は出来ない以上
其処に自分が存在する筈はなく
では、其処に存在するとしたら
其れは一体何者なのだろうか。
其れは世間的に認められる僕であるし
其の事実が僕の存在証明とは
何の関わりも持ち合わせては居ないという虚像。
可能性を考えた
オイラー定数が
三角関数で使われている様に
何の相互性も見出せはしないのに
何故か其処に相互性が存在するのだろうか。
イデア論的存在証明が
多分、此の世には存在しない其の概念が
僕は何を以って
何を自分と定義付けしているのだろうか。
時偶思う。
此の肉体に於ける精神の解離性を
其の客観視を。
此の肉体と
此の精神は
全く別の次元に存在するモノなのではないか。
其の両者を繋ぎとめているのは
辛うじて。
辛うじて。
苦しみや痛みなのではないかと。