予感。

需要と供給の相互関係に於ける狭間が今にも混乱を来たして
暴れだして来ると思うよ。
之は予言でも予感でもなくて
事実なんだ。
来たるべくして来る。
毎年台風が日本に接近する様に。
否。
其れ以上に林檎が重力に従う様に。
其れ程のあやふやさを以ってして確実的。
其れを食い止める可き手段を行使する心算が毛程でも存在するのならば
僕は行使するだろう。
然し、僕は其れを行使しない。
其れを行使したとして、自分が負う可き傷が
其れに値する程のものだと言えるのだろうか。
例え、其れが暫くの時を経過して
其の経過する過程に於いて
非常に重要で貴重な事実だったとしても
僕自身が現在、其れを疑わないのならば
其れは価値を持たない事なのではないだろうか。
感情や想い出は美化されるものだが
同時に正当化もされて仕舞う。
其処に重要であるとか貴重であるとかを認めた所で
採掘して取り出し復元を試みれば
其れは既に意味を成さない。
唯一、其処に意味を見出すと云い得るのは
其の修復過程に於ける工程のみだ。
丸で、プラモデルは作る事に楽しみがあり
完成品には何の興味も示す事が出来ないように
其れは過程のみが意味を成し
面白みを持つものなのだ。
此れを人生に例えて
何かに向けて完成を試みる過程が面白いと結論して仕舞う事も容易いが
生憎、僕は完成品こそを望んでいる。
永遠に普遍で不変で平坦で溜息と欠伸が存在する
秩序立った其の空間こそ面白い。
然し、其の完成品を手にした時に
矢張り、僕は其処に過程を面白がった過去を懐かしむ事になるのだろうか。