自分を負極に置くのなら
其れは正極に存在する
互いが逆だから惹かれある
自分は死を盲信していたし
相手は生を妄信していた
其処に自分の興味関心が注がれた理由でもあるし
互いに異なる其の異分子が結合を試みた時
如何の様な反応が起こったのだろうか
自分は観測者として正極と負極を実感していたけれども
自分の負極を殊更 相手に晒す事は無かった
だから生の妄信を許容出来た要因の一つに為っていたのだろう
然し 相手も自分の負極を理解していたのかも知れないし
多分 理解した結果だからこそ
其の結合が反故に至った経緯なのだろうと
今に為って思い返してみると
其の理由が自分を一番納得させられる