事実。
事実と言うのはいつも自分が想像しているよりも何倍も・何十倍もつらい。
それは、想像だけではこの世界が成り立っていないと言うことを教えているんじゃないかな?と僕は思う。
だから、言わなくても解っているようなことをあえて言うほうがいい。
「好き」っていう感情もそうなんだと思う。
その人がそういってくれるだけで
実際にはわかっていてもその何倍も・何十倍も幸せになれたりする。
でも、その逆だってありえる。
嫌いだって頭でわかっていても実際言われてみると
何倍も傷ついたりするものである。
でも、僕の場合はみんなから嫌われているから
もう、そんなこと慣れ始めてるんだけどね。
事実を頭の中で理解していてもそれを他人から指摘されると
頭の中の事実が現実の事実へと変化していく。
それは、僕の中では覆すことの出来ない「決まりきった常識」
としてインプットされてしまう。
この事実は決定事項で。
何があってもひっくり返すことは出来ない。
そして、僕はまた歪んでいく。
これを他人のせいにしてはいけない。
きっと、僕がこんな理解の仕方をしなければこういったことにはならなかっただろうに。
いつからだろうか?
僕は、いつから自分の存在と言うのがいやになったのだろうか?