独我論。

『何故僕が生まれたのか?』
哲学の独我論に擱いて真っ先に問われる質問だ。
哲学を志していない人間だって
少なからず1回ぐらいは疑問に思った事だろう。
まぁ、正解は単に生物的な答えだ。
僕の両親。
また、そうだと僕が誤解している
1組の男女が結ばれたからだ。
此れは、昔チャットをやっている知り合いに
問いた時に返ってきた答えだ。
だけれど、其の男女から何故僕が
生まれなければ成らなかったのだろうか?
だが、残念なことに其の知り合いは
僕の問いとは遥かに離れた問いと思い込んでいた。
僕は知り合いに対して。
『何故、僕という意識が
 僕と言われている人間の体内に存在するのか?』
この事を問いたつもりだったのだが。
其の知り合いは、
『何故に僕という人間
 つまり浅羽祐介がこの世に生まれたのか?』
という疑問を問いたのと勘違いしたのだ。
其の知り合いの答えは強ち間違いではない。
そう解釈したのなら
生物的に言って何の間違いも無いだろう。
そして、其の知り合いは僕の問いの真実を知ることは無かった。
まぁ、僕の説明が足らなかったのだろうと思います。
さて、話を戻そう。
なんで、僕という人格が・意識が
浅羽祐介という一つの生命体の中に
入り込まなくてはならなかったんだろう?
別に僕は浅羽祐介出なくても良かった。
むしろ、浅羽祐介では無いほうが良かった。
そう考える。
確かに、ソコソコ幸せな中流家庭に生まれ
其れなりに不自由なく生きてきたし
傍から見れば恵まれてるだろうと思う。
僕も、別に其れを否定するつもりは無いのだが
僕が望む世界とは程遠い世界だ。
色あせた世界でしかない。
感動も新鮮も感情も殆どなく。
在るのは演じた世界の中でしかない
偽者ばかり。
自分を。
浅羽祐介という一生命体を其れほど好ましいとは思ってもいない。