アリトアラユルモノ。

僕はどうもダメらしいです。
まぁ、いろいろな意味で。
僕が認識している砂場にある砂粒が
宇宙から見た僕たちだとしたら
それでもヤッパリ僕に
生きる価値が在るといえるのかな。
そんな事は到底無いのに。
いつまでも続く事なんて
人間の生きるこの世には
何にも無いのに
何で永遠なんていう言葉が
生まれたんだろうか?
只の人間の思い上がりだ。
僕は具象的表現を用いる事が
あんまり無いのだけれど
其れは、単なる逃避にすぎないんだ。
全てのものを抽象的に表現すると言うのは
とても簡単で
其れはお世辞とも云えて。
マスコミの発表にもにも似ていて。
彼女の歌とは正反対で。
何より此れは世の中に似ている。
可笑しいね。
僕は世の中の
アリトアラユルモノが嫌いで
小さな世界に閉じこもっているのに
僕が生きているそんなチッポケな世界は
此の世界と結構似ている。
嫌いなはずのアリトアラユルモノが
沢山蔓延っているんだね。
結局人間って云う生き物は
多かれ少なかれ多少の違いが在れども
在る一定の範囲。
そう、其の枠から出て行く事は
絶対に出来ないんだね。
きっと此れは誰かの掌の上で
遊ばれているみたいだ。
でも、世の中に存在する沢山の人は
そんな事にも気が付かないんだろうね。
だから、僕は違う等と訳の解らない言葉を発するし。
誰かは、愛と平和を必死に訴えた歌を作り。
誰かは、他の誰かに同情を求める唄を唱い。
そして
誰かは、自分の過去を埋めてくれる詩に身を委ねる。
そうだとしたら、僕は君であって
君は僕なのか?
別に人間なんて代わり映えしないのだったら
君にも生きる価値が無いのかもね?
いや、ごめん。
そんなに気を悪くはしないで欲しい。
今日は此処まで。