価値。

さて。
今日は生物学のテストがあったんだけれど。
やばいなぁ。
多分100点は取れなかった。
92か其処等辺だと思う。
でも、あの授業はと云うか
大学のテストは基本的に合否。優劣。
之を付けるだけで点数は教えてくれない。
一寸其れは残念。
後、ドレだけ頑張れば良いのか分らないからね。
さて、唐突だが
人間に値段を付けられるか?
そんな問いをもらったので一寸答えてみたいと思う。
之は藻殿に貰った問題なのだが。
一寸藻殿の見解を身勝手に引用してみたいと思う。

 よく人に値段は付けられないって言うけど
 本当にそうなのかな?
 俺は正直、つけられるんじゃないかな〜と思う。
 保険会社みたいに、病気しそうか、とか、職は何だ、とか
 学歴は?とかの要素で見るのではなく、人間性でね。
 厳密に言うと、値段のつけられる人と
 値段のつけられない人に分けられると思ってるんだけど。
 例えば、障害もなく、五体満足な子供。
 これは値段がつけられないんじゃなかろうか。
 まだどんな成長をするかわからないから。
 逆に、リストラされても職探ししないで不貞腐れてる元サラリーマンや
 その日暮らしのフリーター、ホームレス
 独り身の老人には簡単に値札貼れちゃうと思う。
 その基準は、『生産性』。
 『子供』はこれからを作っていくから計り知れない価値がある。
 逆に、値段のつけられる代表選手として挙げた人たちは、言っちゃ悪いが先が知れてる。
 フリーターも夢に向かって金を貯めてるんじゃなくて
 その日を食いつなぐためにバイトしてるフリーターに限定させてもらったのもそのため。
 あくまでも大まかに言ったら、の話だけど。
 もちろん、そういう人々に価値が無いとか
 生きてる意味がないとか言ってるわけではないから
 そこは誤解しないでほしい。
 ただ単に、値札貼れちゃうってだけよ。
  
と、云う見解らしい。
フム。
人間に値段か・・・。
僕はそんな事を考えたことはなかったな。
藻殿は人間に値段が付けられるか否か?
其れを聞いているのだが
僕は大分脱線した回答を提出するよ。
之はきっと藻殿が求めている回答とは程遠いものであろう。
しかし、自己満足の為に書いて置こうと思う。

『人間の値段』
僕は其れ以前に人間というものが存在すること事態に価値が無いであろうとそう考えている。
詰まる所早い話。
価値の無いものの中には価値を見出しても
其れは所詮無価値の物でしかないと言う事だ。
例えるのなら生きるというこのこと自体が幸せでないのに
其の中で幸せを探すということは余りにも滑稽な話。
其処に永遠の幸せ。
絶対的幸せが存在しないのと同じこと。
人間に値段を付ける程の価値を持ちい得ない。
其れが僕の結論だ。
藻殿はご存知の通り。
僕は他人の存在を一切に認めはしない。
其れは単に僕を抽象に過ぎない。
そう。
全ては僕とで出会う。
其の一瞬の為だけに存在する。
そんなものに価値を与える必要性は皆無でしょ?
と、まぁ。
書いてみたけれど
詳しい議論は今度酒を飲んだ時にでもしようじゃないか。
藻殿。