鶏と卵。①

言葉が理性を生んだのか
理性が言葉を生んだのか
此の問は丸で鶏が先か卵が先かと言う疑問に類似している。
後者の議論。
私には鶏が先だと思っている。
『鶏』と定義すると進化過程を多く遡らずを得ないが
『鳥』と仮に定義した場合
其の『鳥』と云う種類ですら何かが進化した生き物で或る事は解かるだろう。
最も、『鳥』と云う種類の生き物が何かからの進化であるというのは
現代を生きる人間が身勝手に辻褄を合わせた結果なので
何とも云えないといって仕舞えば其れ迄なのだが。
今回は、世間一般的に云う『鳥』が何かしらの進化した生き物が有るという
話で始める。
生物は、何年も前。
地球が誕生し水中に僅かに残された諸分子が突然変異を起こし
生物の原型が出来たと考えられる。
其の作りはどんどんと複雑になっていき多細胞生物が誕生した。
云ってみれば魚の原型が其処に完成した訳である。
やがて地球の大部分を占めていた水中では生活が出来なくなった生き物が
何故だかは知らないが生きる術を求め陸上へと上がって来た。
其処で『鳥』が生まれた訳である。
話が長くなったが、生物は諸分子の集合体が突然変異を起こして
生物を作った。
其の生物は何故だか知らないが子孫を残す為に分裂だのをする。
其の過程で卵が生まれるのである。
詰まり、『鳥』が子孫を残す為に卵を産むのであって
卵が子孫を誕生させるのではないのだ。
拠って、僕には『鶏』が先だと思う。
其れに卵は温めたり定期的に卵を回転させてやらなければ
育たないし雛は生まれない。
其れを大地に放って置いて卵が孵る訳が無い。
仮に孵ったとしても雛は自分では餌を餌を得る事が出来ない。
こんなにも確立の低いことが鶏以外でも雀や鳩でもあるなんて
奇妙な話だと僕は思っている