端書に搗き。

死の概念が亡くなるって事は
其の概念すらを喪う事だ。
其れは最早何を喪ったかすら知る術を有しない事を云う。
今、何か新しい概念を捻出出来ない様に
全く持って見当が付かなくなる事だ。
僕の体が酸素を横隔膜を用いて吸引し
吸引した酸素を心臓の力を借りて赤血球に乗って送り出し
細胞内にあるミトコンドリアマトリックス
酸素からアデノシン三燐酸を製造し今日も生きる。
そうしている間に。
例えば寝ている間や本を読んでいる間。
別に此の限りではないが
何かに没頭している時に死と云う未知の体験に関して
何の観念を持ち合わせなかった時
其れは死と云う概念を其の瞬間瞬間に喪っている事に等しい
詰まり、其れは死んでいるも同然の事であるのだ
死について只管懇願し渇望し思索する事丈が
生きると云う事になる。
其れ以外の茶番に関して一瞬でも死について考えない時
其れは死んで仕舞っている。
生きる価値が死に搗いて考える事だと言うのは大層欺瞞的だが
生きると云う事が死に搗いて只管考える事丈というのは
僕を今の状況納得させるに充分な材料で
其処に思索の余地は有るが
議論の余地は生憎持ち合わせては居ない。