感情を有しないホムンクルスとの会話の成立性について。at tex no1

感情を有しないホムンクルスとは
果たして会話が成立するのだろうか。
例えば、『痛い』と云う概念を知らないホムンクルス
痛いに関する会話を成立させる事が果たして出来るだろうか。
否。
抽象的な概念だけではない。
空腹の際にパンを前にし
別にパンと云う概念を口にする訳ではないのに
其処に存在する物質を咀嚼し
体内に取り込む事で満足感を得る。
決して、其処にパンと云う概念を吸収した訳ではないのだが
満足する。
其んな会話を成立させる事は果たして出来るのだろうか。
抽象には少なからず感情の介入を拒む余地が無い。
例えば『痛い』と言う概念を理解する為に
痛い=悲しい・苦しい等のマイナス
(まぁ、必ず其れがマイナスである必要性は無いが)
と言う感情を介入させ
其の概念を概ね理解する。
パンと云う物質的概念を理解するには
パン=美味しい
人によっては、甘いや不味い・気持ち悪い等の事などを含め
其のパンと云う概念を概ね理解する。
名詞が名詞であり其れ以上の働きをしない場合
其処に会話が成立する可能性は略無いだろう。
感情を理解するというのは如何いう事なのだろうか。
例えば楽しいという感情。
其れを理解するに於いて重要な事はなんだろうか。
抑、我々は楽しいという感情を理解しているのだろうか。
僕にとっての楽しいという感情。
其れと他人にとっての楽しいという感情は
果たして同じだと言えるのだろうか。
例えば、僕にとって悲しいという感情を
或る人が楽しいという概念で学習していた場合
其れは如何云う事なのだろうか。
感情の概念は他人から言葉を教えて貰う事で学習する。
拠って、楽しいが絶対的な相違ない感情ではない事が
此処に証明される。
感情を言語化する事が出来ないと云う事は
此れに拠り亦、証明される事になる。
詰まり、感情の不確かさが生じる場合でも
我々の様に会話を成立させる事が出来る。
   
名詞を名詞としか所有出来ない場合
其の名詞を前にした時
其の名詞以外に広がりを持たない。
と云う事になるのだが。
例えば犬と言う名詞を前にした時
可愛いや怖い等の広がりを持たない事になる。
犬と言う名詞を前にした時此れは柴犬である等の
名詞の広がりを見せる事は可能であろう。
然し、犬と言う会話のキーワードから
相手が可愛いというキーワードに移り
其の可愛いというキーワードから猫を引き出した場合
ホムンクルスの思考回路の広がりに猫が出る事は中々無いだろう。
然し、其の猫と言うキーワードを元に亦名詞の広がりは持つ事が出来る。
此処にホムンクルスの会話の不連続性が生じる。<明日に続くと思う。>