罪(主に殺人罪)についての個人的且つ哲学的見解@2

では、科学的に殺人を認められないからと言う理由に則り
法律で禁じているとしよう。
仮に、科学的に人を殺す事が駄目だと云う
何等かの研究が発表されたとして
然し、抑、科学すらも当てにならない。
何故なら、科学的な法則や方程式等と言うのは
精度の高い確率論に過ぎないからである。
其れは確率論で或るが故に
其の先に絶対は存在しない。
限りなく零に近いが
零ではない反比例の座標の様に
絶対ではないのだ。
例外の可能性は幾等でも潜んでいる。
椅子の上から手に持った林檎があり
其処から手を離せば林檎が堕ちると言うのは
今迄何万何億回も繰り返された事実に拠って
堕ちると予測出来る。
只、其れ丈であって
林檎が落ちたから
其処に重力があるのである。
其れは、決して重力があるから
林檎が落ちたのではない。
其う。
重力が有るから林檎が落ちるのではなく。
林檎が落ちるから重力が有るのである。
もう一度同じ事をやった所で
次は林檎が宙に浮く可能性だって
落下しない可能性だって。
例外の可能性は幾等でも存在する。
此の観点から見れば
科学とは宗教であると言っても過言ではない。
詰まり、宗教上(科学的に)人を殺してはいけない
と言う教えに背く行為。
其れが罪である。
然し、先に述べた様に此の宗教的見解は
当てに成らないのである。
科学的に云うならば
人を殺してはいけないと云う事は
詰まり
総合的に見てマイナスの要素を
プラスの要素を凌駕する事を指すのだが
其の反対の結果を出す可能性は幾等でも存在する。
勿論、此の結果を支援する可能性も
同程度存在する事を言って置くが。