罪(主に殺人罪)についての個人的且つ哲学的見解@4

例えば、僕は僕の愛する人を殺されたとしよう。
実際、僕は愛というものを定義出来ないので
其んな人は存在しないが
少なくとも、僕と昵懇の人間が
僕にとって掛け替えの無い人間が
其んな人が殺されたとしよう。
其うしたら、僕は其の相手を恨むだろうし
殺したいと願い
此の世から抹殺したいと思うだろう。
然し、其処に存在するのは
其んな行為を起こした相手への
僕の恨みであり
嫉みであって相手の罪を認めているのではない
   
然し、辞書の『罪』の解釈と『道徳』の解釈には
良い線を付いている。
罪には、道徳に背く事という解釈があり
道徳には自発的に正しい行為へと促す内面的原理とある。
詰まり、自分が其れを罪と認め
其処に、
嘆き
悔恨し
挫折し
泣き
苦しみ
喚き
改心し
悔い
のた打ち回り
絶望し
過去を羨望し
懺悔する其の時に罪は生まれ
其して同時に罪と向き合う。
   
例えば今日と言う日を生きた事に嘆き悔恨するのなら
其れは罪と言い得るし
食事を残した事に嘆き悔恨するのなら
其れを罪と言い得る。