自分が其処に存在しない事に安心して更に不安になる。

理由が現象の真実な理由ではないと思う。
例えば僕が存在しなくなって
君が狂ってくれる訳ではないでしょう?
其う、自分が死を臨む理由を説明した所で
其れは僕が死を選択する真実には何の関与も出来ない
現象は言語ではない
言語が二次元的世界に存在するものなら
現象は三次元的世界に存在するものだろう
だから、二次元上で三次元グラフを展開する様に
如何しても曖昧さが存在して仕舞う
其して何よりも
其の曖昧化された部分にこそ理由が存在するのだろう
だから、現象を理由付けするのは
或る意味で不毛な事でも有り得るのだ
然し、此の思考の根底には
真理には永遠に辿り着く事の出来ない
次元を超越した何がしかが存在すると云う
神話に可也を持っていかれた
汚染され切った思考なのかも知れない
其んなマインドコントロールに対して
矢張り、真理は遥か遠くに存在する事を
僕は認めざるを得ないと此処に考え付く
理由付けや意味や価値や原因を求める事は
追求を逃れたい
追求する事を止めたい
其う思う事への順応なのかも知れないな。