妄想が現実にならないかと心底思う一つの事が有る。

喩えるので有る為らば生きる理由を求めるのが
今を生きると云う理由の様な
本末転倒にして生産性が皆無で有る処か
寧ろマイナス成長を記録している様だ
久し振りに相対的にはマイナスイメージを伴う幸福な夢を見て
其れが現実に於いて全く実行に移されていない事を
「現実」と自分を騙せた事で認識する
脳内に隔離された空間で恐怖を取り除けば
後は其れを如何実行するかに僕は答えを出せないで居る事
其れは一つの事実だ
何せ、前例を持ち合わせていないのだから
其れは自分個人の経験丈では無く
広く一般論的に経験を持ち帰る方法が原理的に不可能であるからで
色々と試行錯誤はしては見るものの
一向に良好な結果を導き出せそうも無い
膨大なデータさえ所有していれば
幾らでも虚偽を現実味たっぷりの上質な報告で提出する事は可能なのに
突然に現れる現象を僕は客観的に統一ファクターで観察する事を怠って仕舞う
何せ、其れは冷静さを欠く程の興奮と狂気と幸福だから
初めての『取って置き』を手に入れた子供の様に
眠れない程の事なのだ
新たな視野を如何にか手に入れて見たいのだけれども
同じ観察を行っている人が世界中に果たして何人居るだろうか
亦、此の感覚的な事をどれ丈実行可能な言語に翻訳する事が出来るだろうか
或る意味で此れは最も神聖で高尚な事